素直になれない私です
2012.04.25 (Wed)
Dragon Ashの馬場さんが亡くなりました。
パソコンでニュースを見て『え…』と声を出してしまいましたナオシです。うぅ。
十数年前、Dragon Ashはファンクラブに入るほど好きで、キャッシュカードの暗証番号を会員番号にしていた程でもありました。
わたしがライブ好きになったのも、NKホールで彼らのライブを見たのが始まりでした。
前にブログにちろっと書いたような気はするけども改めて書いてみます。
- - - - -
二十歳で就職のため上京したわたしは、周りに友達もおらず(会社も5人&同年代ゼロ)日々孤独に過ごしておりました。
地元の友達も何人か東京にいましたが、大学生活エンジョイ中の友達に『寂しいから遊んで!』なんて言えないよなぁ。と思って連絡できませんでした。素直になれない私です。
ある日、仕事帰りにたまたま京王線に乗ろうとエスカレーターを降りていたら、高校時代に仲良しだった小氏さんと偶然すれ違いました。
わたしが声をかけると、『なおちゃん!何やってるの!』とわたしが上京していることすら知らなかった彼女はとても驚いていました。
そこから電車でいろいろ話し、『また連絡するね!』と言って別れました。
しかし、わたしは日々の仕事や生活に慣れることに必死で、自分から連絡することはありませんでした。
数日後。普段自分から連絡するようなタイプではない彼女から『遊ぼうよ!』とメールが届きました。それは、素直になれないわたしにとってはとても嬉しかったのです。
彼女も当時を振り返り、『あの時は、絶対連絡しなきゃと思った。』と言っていました。
そしてわたしが行きたかったDragon Ashのライブに一緒に行ってくれました。
前座は、メジャーデビュー前のRIP SLYME。SBK(スケボーキング)の2人も来て、いつもCDを聴いていた人たちが目の前にー!と2人で心底騒ぎました。
そこからライブにはまり、2人でその3組がらみのライブやクラブイベントに行きまくりました。
そこから勢いづいてDragon Ashのサークルにも参加し、たくさんの仲間ができておそろいのTシャツを着て一緒にライブで騒いだり、カラオケではじけたりもう青春そのものでした。
わりと大きい規模になって、DAが主催していたTMCというライブツアーでDJをしていた方も参加して一緒に飲んだりする程になっていました。
HEY HEY HEYの収録に行ったり、彼らのプロモーションビデオのエキストラとかも行きました。もうそこには孤独な自分の姿はありませんでした。
そう、彼らのライブのおかげで人生が変わったのです。
その後、RIP SLYMEにハマり、次にNERD、BASEMENT JAXX、Coldplayと洋楽にハマり、今はかまってちゃん、N'夙川BOYSと、なんだかよくわからん趣向ですが、Dragon Ashの音楽を聴く機会はすっかりなくなっていました。
そして馬場さんの死を知り、わたしを救ってくれたDragon Ashの存在の大きさを実感し、改めて動画を見ていたらなんだか涙がぼろぼろ出てきました。
多くの感動をありがとう!
↑最後ケンジが感極まって涙するのですが、馬場さんももらい泣き。伝説の動画です。
【本日の一言:いつ訪れるかわからない死。精一杯生きていこう】
パソコンでニュースを見て『え…』と声を出してしまいましたナオシです。うぅ。
十数年前、Dragon Ashはファンクラブに入るほど好きで、キャッシュカードの暗証番号を会員番号にしていた程でもありました。
わたしがライブ好きになったのも、NKホールで彼らのライブを見たのが始まりでした。
前にブログにちろっと書いたような気はするけども改めて書いてみます。
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二十歳で就職のため上京したわたしは、周りに友達もおらず(会社も5人&同年代ゼロ)日々孤独に過ごしておりました。
地元の友達も何人か東京にいましたが、大学生活エンジョイ中の友達に『寂しいから遊んで!』なんて言えないよなぁ。と思って連絡できませんでした。素直になれない私です。
ある日、仕事帰りにたまたま京王線に乗ろうとエスカレーターを降りていたら、高校時代に仲良しだった小氏さんと偶然すれ違いました。
わたしが声をかけると、『なおちゃん!何やってるの!』とわたしが上京していることすら知らなかった彼女はとても驚いていました。
そこから電車でいろいろ話し、『また連絡するね!』と言って別れました。
しかし、わたしは日々の仕事や生活に慣れることに必死で、自分から連絡することはありませんでした。
数日後。普段自分から連絡するようなタイプではない彼女から『遊ぼうよ!』とメールが届きました。それは、素直になれないわたしにとってはとても嬉しかったのです。
彼女も当時を振り返り、『あの時は、絶対連絡しなきゃと思った。』と言っていました。
そしてわたしが行きたかったDragon Ashのライブに一緒に行ってくれました。
前座は、メジャーデビュー前のRIP SLYME。SBK(スケボーキング)の2人も来て、いつもCDを聴いていた人たちが目の前にー!と2人で心底騒ぎました。
そこからライブにはまり、2人でその3組がらみのライブやクラブイベントに行きまくりました。
そこから勢いづいてDragon Ashのサークルにも参加し、たくさんの仲間ができておそろいのTシャツを着て一緒にライブで騒いだり、カラオケではじけたりもう青春そのものでした。
わりと大きい規模になって、DAが主催していたTMCというライブツアーでDJをしていた方も参加して一緒に飲んだりする程になっていました。
HEY HEY HEYの収録に行ったり、彼らのプロモーションビデオのエキストラとかも行きました。もうそこには孤独な自分の姿はありませんでした。
そう、彼らのライブのおかげで人生が変わったのです。
その後、RIP SLYMEにハマり、次にNERD、BASEMENT JAXX、Coldplayと洋楽にハマり、今はかまってちゃん、N'夙川BOYSと、なんだかよくわからん趣向ですが、Dragon Ashの音楽を聴く機会はすっかりなくなっていました。
そして馬場さんの死を知り、わたしを救ってくれたDragon Ashの存在の大きさを実感し、改めて動画を見ていたらなんだか涙がぼろぼろ出てきました。
多くの感動をありがとう!
↑最後ケンジが感極まって涙するのですが、馬場さんももらい泣き。伝説の動画です。
【本日の一言:いつ訪れるかわからない死。精一杯生きていこう】
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