トラウマ小説 -第6話 復活-
2013.05.11 (Sat)
そんなこんなで今年の1月から3月までアメリカで心底やりたいことをやってきて自由に生きてきたが、帰国した数週間後の2013年4月29日、再びボルト外しで入院した。自由から再び不自由の世界へ。
手術前に、ボルトは1年から1年半後に撤去した方がいいという話を先生から聞いていた。それから何をするにも『1年後はまた手術かぁ。』という憂鬱な気持ちとともに過ごしてきた。
病院へ行くと4人部屋に案内され、うち3人が明日手術だということがわかり、なんだか心強かった。
- - - - -
4月30日。手術の日は、順番に部屋から人が移動していった。
わたしは手術のトリで、一番大変な手術なんだろうなーと思った。母もまた今回も来てくれ見守ってくれた。
前回の経験もあり、術後の痛みが恐怖ではあったが、じたばたしてもしょうがない。と覚悟を決めて手術室へ入った。また全身麻酔の眠気に誘われ『眠気にさからっちゃだめだよ~』と言われたのを最後に再び眠りについた。
- - - - -
1時間と言われていた手術だったが、2時間半かかったようだった。
目が覚めたときはジンジン痛んだが、前回の痛みに比べるとわりと平気で痛み止めを飲まずにこらえた。
数日経つと痛みも柔らぎ、お部屋の人と談笑する日々であった。
前回は怪我の程度が重く、落ち込み気味だったこともありカーテンを閉め切って孤独に過ごしたが、今回はさまざまな年齢の方々の体験談が面白く、毎日話をして過ごした。
母に『ロサンゼルスに行って変わったんだべか。』と言われそれも少しはあるかもしれんが、同じ病室の人たちがアメリカや上海に住んでいたといういろんなことを経験された方々だったから、楽しかったのだと思う。お父様が画家だったという方のお話も大変興味深く、他にも共通点があったり偶然すぎて驚き、『修学旅行みたいね~』とわいわい話すほどであった。
みんなお部屋を移動していき、最後は2人になったがさらにじっくりいろんな話をした。展示が近くて絵を描かないといけない状況であったが、話をすることの方が重要に思えて夢中になってあれこれいろんな話をした。
↑ペンタブまで持ち込み
退院の日には、みなさんにポストカードをプレゼントした。出会えて良かった、と思った。
病院を出る時、『今回の入院は楽しかったなぁ!』と言うと、母はあきれた顔で笑った。
こうしてわたしの入院生活は無事に終わった。
手術前に、ボルトは1年から1年半後に撤去した方がいいという話を先生から聞いていた。それから何をするにも『1年後はまた手術かぁ。』という憂鬱な気持ちとともに過ごしてきた。
病院へ行くと4人部屋に案内され、うち3人が明日手術だということがわかり、なんだか心強かった。
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4月30日。手術の日は、順番に部屋から人が移動していった。
わたしは手術のトリで、一番大変な手術なんだろうなーと思った。母もまた今回も来てくれ見守ってくれた。
前回の経験もあり、術後の痛みが恐怖ではあったが、じたばたしてもしょうがない。と覚悟を決めて手術室へ入った。また全身麻酔の眠気に誘われ『眠気にさからっちゃだめだよ~』と言われたのを最後に再び眠りについた。
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1時間と言われていた手術だったが、2時間半かかったようだった。
目が覚めたときはジンジン痛んだが、前回の痛みに比べるとわりと平気で痛み止めを飲まずにこらえた。
数日経つと痛みも柔らぎ、お部屋の人と談笑する日々であった。
前回は怪我の程度が重く、落ち込み気味だったこともありカーテンを閉め切って孤独に過ごしたが、今回はさまざまな年齢の方々の体験談が面白く、毎日話をして過ごした。
母に『ロサンゼルスに行って変わったんだべか。』と言われそれも少しはあるかもしれんが、同じ病室の人たちがアメリカや上海に住んでいたといういろんなことを経験された方々だったから、楽しかったのだと思う。お父様が画家だったという方のお話も大変興味深く、他にも共通点があったり偶然すぎて驚き、『修学旅行みたいね~』とわいわい話すほどであった。
みんなお部屋を移動していき、最後は2人になったがさらにじっくりいろんな話をした。展示が近くて絵を描かないといけない状況であったが、話をすることの方が重要に思えて夢中になってあれこれいろんな話をした。
↑ペンタブまで持ち込み
退院の日には、みなさんにポストカードをプレゼントした。出会えて良かった、と思った。
病院を出る時、『今回の入院は楽しかったなぁ!』と言うと、母はあきれた顔で笑った。
こうしてわたしの入院生活は無事に終わった。
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