LA長期滞在日記 -Vol.113 【考察】ライバル心とは-
2015.03.04 (Wed)
ここ数日でライバルという言葉を聞いたので砂をまきながら、ライバル心とはなんぞや。と考えこんだナオシです。だうも。
【ライバル】… 同等もしくはそれ以上の実力を持つ競争相手の意味。なお、英語のライバルは「常に対立し合っている宿敵」という意味で、好敵手という意味合いは無い。
ほほぅ。
会話の中ではいい意味でのライバルという感じで使われていたのですが、わたしはどちらにせよ人に対してライバル心をあまり持たないので、それはなんでなんだろう。ということに関していろいろ考察しました。
絵で大活躍している人を見ると当然”いいなぁ!”と思うのですが、妬み羨みの”いいなぁ!”ではなく、尊敬的な”いいなぁ!すごいなぁ!”と思うのですが、この二つの違いは何なんだろうと考えました。
誰しもうらやましいという気持ちはあると思うのですが、その”いいなぁ!”の違いを分析すると、その人と同じ場所に自分を並べるかどうかということだと思いまして。
自分がその人の横に並んだら、立場の違いに悔しくなり悲しくなり妬み羨みの気持ちが生まれるのかもしれないのですが、その人の横に並ぼうと思わなければ、ただ純粋にうらやましいなぁ!という尊敬的な意味になるのではないかと思うのです。
そしてこれまでの日々を振り返ると、ライバル争いの場に参加してきていないからこういう考えになってるんだなと思いました。
ちょいちょいここで書いてる気はしますが、高校受験では受かる確率50%と先生に言われ、誰誰ちゃんに負けたくない!という高レベルの争いに参加するどころの話ではなく、自分でなんとかしないとやべぇぞ、これ!と周りを気にする暇がない感じで。(奇跡的に合格!)
大学受験も卒業式を終えても行く先が決まらぬ状況だったし(すべり止めに落ちるという奇跡)、短大の時も30人弱のクラスで就職先がきまらぬ3人の中に入っていたり。(30社ぐらい受けたが全然ダメだった。決まらない他2人は就活をしてないギャルと彼氏とべったり風な人であった)
絵に関しても学校に行っていないので戦う相手どころか、砂絵という画材とひたすら向き合いながら一人黙々と動く日々で、徐々に増えてきたアーティスト友達とはライバルというより仲間ができた!という想いで嬉しくて。笑
改めて振り返ると、第一線の戦いに全く参加できてない感じにウケますが、当時は『生きる価値がない人かもしれぬ。』と真剣に悩んでおったものです。
あと、短大のことを振り返って思い出したのですが、学園祭でダンスを踊っているダンス部の人を見て『かっこいいー!』とファンになった人がいたのですが、友達がいろいろ気を利かせてくれたおかげでその人と付き合えることになり(若い&奇跡)仲良くしておったのですが、半年ぐらい経ったときだったかなぁ。その人が『ちょっと話したいことがあるって女の子から明日呼び出しされているんだけど。』と言ってきまして。
なんだそりゃ!とは思ったんですが、その女の子も気持ちを伝えたいだろうし、まぁなるようになるか。と告白の場へその人を見送りまして。笑
結局『断ってきたよ!』と帰ってきてホッとしたと思うのですが(覚えてない)、この行動もライバル心という視点で考えると同じような感じで戦いに参加してないというか。
それはわたし彼女だし!とかいう上目線や自信からの行動ではなく(そんないい女ではない)、『これでその人に行くならそれまでだな。』と他の場所から状況を見守っている感じで。
この行動はわれながら斬新だな。と思うのですが(笑)、自分の人生なのにどこか他人事のように考えるところがあるんだよなぁと思いました。いろんなことに関して執着しないというか。諦めが早いというか。
おっとぉ!話はぎゅんとそれましたが、ナオシ的【考察】ライバル心とは。でした。
おしまい。
【ライバル】… 同等もしくはそれ以上の実力を持つ競争相手の意味。なお、英語のライバルは「常に対立し合っている宿敵」という意味で、好敵手という意味合いは無い。
ほほぅ。
会話の中ではいい意味でのライバルという感じで使われていたのですが、わたしはどちらにせよ人に対してライバル心をあまり持たないので、それはなんでなんだろう。ということに関していろいろ考察しました。
絵で大活躍している人を見ると当然”いいなぁ!”と思うのですが、妬み羨みの”いいなぁ!”ではなく、尊敬的な”いいなぁ!すごいなぁ!”と思うのですが、この二つの違いは何なんだろうと考えました。
誰しもうらやましいという気持ちはあると思うのですが、その”いいなぁ!”の違いを分析すると、その人と同じ場所に自分を並べるかどうかということだと思いまして。
自分がその人の横に並んだら、立場の違いに悔しくなり悲しくなり妬み羨みの気持ちが生まれるのかもしれないのですが、その人の横に並ぼうと思わなければ、ただ純粋にうらやましいなぁ!という尊敬的な意味になるのではないかと思うのです。
そしてこれまでの日々を振り返ると、ライバル争いの場に参加してきていないからこういう考えになってるんだなと思いました。
ちょいちょいここで書いてる気はしますが、高校受験では受かる確率50%と先生に言われ、誰誰ちゃんに負けたくない!という高レベルの争いに参加するどころの話ではなく、自分でなんとかしないとやべぇぞ、これ!と周りを気にする暇がない感じで。(奇跡的に合格!)
大学受験も卒業式を終えても行く先が決まらぬ状況だったし(すべり止めに落ちるという奇跡)、短大の時も30人弱のクラスで就職先がきまらぬ3人の中に入っていたり。(30社ぐらい受けたが全然ダメだった。決まらない他2人は就活をしてないギャルと彼氏とべったり風な人であった)
絵に関しても学校に行っていないので戦う相手どころか、砂絵という画材とひたすら向き合いながら一人黙々と動く日々で、徐々に増えてきたアーティスト友達とはライバルというより仲間ができた!という想いで嬉しくて。笑
改めて振り返ると、第一線の戦いに全く参加できてない感じにウケますが、当時は『生きる価値がない人かもしれぬ。』と真剣に悩んでおったものです。
あと、短大のことを振り返って思い出したのですが、学園祭でダンスを踊っているダンス部の人を見て『かっこいいー!』とファンになった人がいたのですが、友達がいろいろ気を利かせてくれたおかげでその人と付き合えることになり(若い&奇跡)仲良くしておったのですが、半年ぐらい経ったときだったかなぁ。その人が『ちょっと話したいことがあるって女の子から明日呼び出しされているんだけど。』と言ってきまして。
なんだそりゃ!とは思ったんですが、その女の子も気持ちを伝えたいだろうし、まぁなるようになるか。と告白の場へその人を見送りまして。笑
結局『断ってきたよ!』と帰ってきてホッとしたと思うのですが(覚えてない)、この行動もライバル心という視点で考えると同じような感じで戦いに参加してないというか。
それはわたし彼女だし!とかいう上目線や自信からの行動ではなく(そんないい女ではない)、『これでその人に行くならそれまでだな。』と他の場所から状況を見守っている感じで。
この行動はわれながら斬新だな。と思うのですが(笑)、自分の人生なのにどこか他人事のように考えるところがあるんだよなぁと思いました。いろんなことに関して執着しないというか。諦めが早いというか。
おっとぉ!話はぎゅんとそれましたが、ナオシ的【考察】ライバル心とは。でした。
おしまい。
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